堀辰雄と万葉集 「いざ生きめやも」を巡って
概要:
堀辰雄の代表作と言われる「風立ちぬ」は、簡単に要約してしまえば、語り手である「私」と、重篤な病を患っている「節子」という女性との愛の物語である。「私」は人里離れた信州山奥のサナトリウムで、「節子」の枕元に付き切りで日々を過ごしているのだが、この世間からは隔絶した「奇妙な」愛の生活は、「私」にとって完全に満ち足りた幸福の体験であると思われた。この二人だけの味わい得た至福の思い出を、「私」は「俺たちだけのもの」として、これを「もっと確実なもの」「もっと形をなしたもの」に置き換えておきたいと願う。こうして出来上がったのが「風立ちぬ」という作品であった。
この小説の冒頭に、作者はフランスの詩人P.ヴァレリーの詩句一行をエピグラフとして掲げている。そこに日本語訳は付されていないが、小説中の「私」は、折に触れてその日本語訳にあたる「風立ちぬ いざ生きめやも」という詩句を口ずさむ。この「生きめやも」、とりわけ最後の「めやも」という現代の日本人には甚だ耳慣れない不可解な言い回しが、とかくの議論を呼ぶこととなった。
本書はこのような議論に決着をつけようと試みたものである。先ず「めやも」という万葉の時代に使われ、その後は殆ど使われなくなった語法を文法的に子細に分析し、多くの用例を読み解きながら、その意味するところを追究してゆくと、自然と心を通わせ合って日々の生活を営んでいる万葉人の素朴で詩的な世界、彼らの思い描いている魂の世界が髣髴と浮かび上がって来る。次いで堀辰雄の小説の原文そのものを虚心に読み込んで行くと、今度は万葉の世界、万葉人の死生観といったものが、「私」のそれと相呼応し、深く浸透し合い、共鳴していることが感じ取られる、そして最終的に「私」の、延いては作者堀辰雄自身の、独自の人生観、死生観、彼の思い描く魂の世界とはどんなものであったのか、ということが、我々小説の読者の心にも、はっきりと開示され、感じ取られることになるのではないかと思う。
著者紹介:
戸部 松実(とべ まつみ)
東京生まれ。1958年東京大学教養学部フランス科卒。60年同大学院仏文科修士課程修了。1964年青山学院大学文学部講師、69年助教授、82年教授。1990年退職。ルソーが専門。
著書
『仏作文のキー・ポイント』三修社 1975
ジャン=ジャック・ルソー『不平等論 その起源と根拠』国書刊行会 2001
『『エミール』談論』国書刊行会 2007
翻訳
ルソー『エミール』『世界の名著 第30』中央公論社 1966
ブリア=サヴァラン『美味礼讃』関根秀雄共訳 岩波文庫(上下) 1967
『ルソー全集 第8巻』「エミールとソフィ または孤独に生きる人たち」白水社 1979
『ルソー全集 第10巻』「エドワード・ボムストン卿の恋物語・道徳書簡」白水社 1981
『世界文学全集 15 ルソー ラクロ』ルソー「孤独な散歩者の夢想」平岡昇共訳 講談社 1983
『幸福の味わい 食べることと愛すること』訳 国書刊行会 十八世紀叢書 1997
Ch.ボバン「老いのかたち―澄みわたる生の輝き―」中央公論事業出版 2019
販売(無期限): ¥ 1,320(税込) / ギフト購入: ¥1,320 (税込)
