2001年クルマ社会は崩壊する
概要:
タイトルは予言の書のようだが、中身は科学・技術と日本的なるものとの乖離と融合について述べたものだ。
といいながら、予言は半ば的中している。書いた本人として驚いている。
たとえば二〇〇一年九月十一日のニューヨークのツインタワー等を攻撃したテロ事件だ。外国の事件であり、クルマとは直接関係ないように見えるが、そうではない。
このテロの背景には中東の石油資源をめぐる政治的軋轢がある。世界の石油の半分を消費してしまう自動車が無関係であるはずがない。このままでは、クルマ社会は戦争の原因となることさえ暗示した事件であった。いや、正確にいえば自動車の誕生から今日まで、自動車は世界の政治的、環境的、資源的な紛争の種であったのだ。
さらに二〇一一年三月十一日の東日本大震災による福島第一原発の崩壊は、科学・技術依存、その代表例としての原発依存体質の日本と世界の安全が、極めて脆弱な基盤の上にあることを示した。
そして、クリーンであるはずの電気自動車も、そのエネルギーを原発に依存するのでは、決してクリーンではないばかりか、大きな危険を人々に背負わせることになることを、福島第一原発の崩壊は明らかにしたのだった。
十八世紀後半から始まった産業革命は、大きな富をもたらせたが、その一方で環境・エネルギー問題という人類にとって危機的な問題を起こした。さらに産業主義は経済にも深刻な影を落とし、私たちの生活を脅かしている。二十一世紀に生きる私たちは、そのツケを払わせられているのではないだろうか。
では、私たちはどうすればよいのか。
本書では、その解決策の一つとして、科学・技術を冷静に見直し、その正反対にある宗教、とくに仏教との融合を説いている。そして、その鍵として江戸時代以前の日本に置き忘れたもの、つまり日本的なるものを見直してみることが大事ではないかと述べている。
本書は一九八七年に出版された。それからずいぶんと月日が流れた。しかし、電子本での発刊を機に読み返すと、現代に、さらに未来に通じることが書かれていることを痛感した。ぜひお読みいただいて、自動車というメディアを通して現代と未来について共に考えていただけると幸甚である (著者) (閉じる)
目次:
1.旅立ちの前に
2.スカイラインと源義経
3.ローレルと四帖半文化
4.レーシングカーと法隆寺
5.ベンツとカタナ
6.裸電球の下の日本誕生 (もっと読む)
原則、返金不可
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