児童文学に今を問う
概要:
なぜ児童文学批評なのか、と問われた時、僕はこの音楽年表の話を持ち出す。果たして今が古典派からロマンはというような大きな境目の時期なのか、ロマン派前期と中期というくらいの移行期なのか、これはわからない。というより、そうした時代区分というのは最終的には後世の人間がやることで、その渦中にいるものには基本的には不可能であるのかも知れない。しかし、僕らは今を生きるものとして、現在というものの意味を全く後の時代に託すわけにはいかない。僕らの今のありようが、これまでの仕事の何を引き継ぎ、またこれからの仕事にどう繋がっていくのか、いずれは書き改められるのかも知れないが、僕らは今に行きつつ今を意味づけていかなければならないのだと思う。それは使命といったことよりは、むしろ人間としての一種の本能のなせる営みなのではないか。
ー「はじめに」より抜粋ー
藤田のぼる(本名 藤田昇)
1950年、秋田県に生まれる。
秋田大学教育学部卒業後、東京都内の私立小学校教諭を経て、(社)日本児童文学者協会に勤務、現在事務局長。淑徳短期大学講師。児童文学評論研究会会員。
1975年頃より、『日本児童文学』『季刊児童文学批評』などに論文を多数発表。また、87年から、共同通信配信で各地方紙に児童文学時評「子供の本を読む」を毎月執筆するなど、児童文学の現在について発言を続けてきた。86年以降、創作活動も行っている。本書収録論文以外の主な著作に、『資料・戦後児童文学論集(全3巻)』(共編、偕成社)、『現代作家論』(『季刊児童文学批評』連載)、創作作品に『雪咲く村へ』『山本先生ゆうびんです』(いずれも岩波書店)など。
目次:
◆もくじ◆
はじめに
・僕にとっての児童文学批評 あるいはドボルザークの髭
Ⅰ
・喪われた共通理念を求めて
・僕の「現代児童文学史」ノート
・子どもの“同伴者”たる大人の像を
・児童文学・八〇年代への予感
Ⅱ
・児童文学におけるノンフィクションの発見
・いま、仲間であること
・だれも知らない
・我が心のパラレルワールド
・“子どもたちの今”を語ることばに向けて
Ⅲ
八〇年代体験記・覚え書
偉そうなことを言いますが-結びに代えて
原則、返金不可
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