山室機恵子の生涯 花巻が育んだ救世軍の母
概要:
宮沢賢治に通底する生き方
銀鈴叢書
一八七四(明治7)年、岩手県花巻生まれた。機恵子の先祖は南部藩の家老でした。武士道の精神で育てられた機恵子は「世のため身を捨てて尽くす」生涯を送りました。近所には宮沢賢治の実家があり、「兄、賢治の作品に流れている精神も、家同士の交流のなかで影響を受けて、まさに共通の思想・行動の人生」だったと弟の宮沢清六は言っています。
機恵子は、八人の子を生み育てながら、貧民救済・廃娼運動・東北凶作地子女救済・結核療養所設立など先駆的社会事業のため東奔西走し、病に倒れ四一歳で命を終えたのです。救世軍の母といわれています。
心の奥底に針金のような信念があれば、人間はこれほどのことも実行できる・・・志の尊さ・強さを広く世に届けます。
[児童文学者 楠木しげお]のことば
山室機恵子は、夫軍平と共に救世軍に属して、キリスト教の伝道と弱者救済に生涯をささげたのでした。キリスト者というだけの信者ではなく、身を挺しての活動家だったのです。
妻機恵子の側から捉えていますが、夫軍平の方が説教にも迫力があり、魅力的な人物だったかもしれません。
著者は根気強く、関係の資料を集めておられます。
山室夫妻やその家族だけでなく、内村鑑三、新渡戸稲造、新島襄・八重夫妻、津田梅子、宮沢トシ(宮沢賢治の妹)などの人物像も教えてくれています。
本書は資料性のある「評伝」ですが、その中から、機恵子の「ものがたり」が浮かび上がってくるのです。
安原みどり:
1953年、岩手県生まれ。宮沢賢治の母校である盛岡一高(旧制盛岡中学)を卒業後、宮沢トシの母校である日本女子大学を卒業。
2015年8月28日没。享年62歳。 (閉じる)
目次:
はじめに
第一章 新渡戸、機恵子、賢治を育んだ花巻
第二章 明治女学校とキリスト教
第三章 社会に尽くす道を模索して
第四章 軍平、そして救世軍との出会い
第五章 救世軍初の結婚式 (もっと読む)
原則、返金不可
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